言葉は必要が生じたときに、両者の間でつくられる。

 ある日本の大学の先生のブログにこんな記事があります。(自分の息子さんとのやりとりについての記述です。これは数年前の記事で、当時息子さんは1歳ちょっとだったようです。)
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 息子が「ウッブー」という言葉で車を表現します。彼が発する最初の言葉でした。「でじゃー」は最近になって発する2種類目の言葉です。意味は、ヴィデオもしくはDVDのことです。ヴィデオやDVDを見たいとき、息子はそれらを指さしながらせがみます。わざと知らんぷりをすると、必死になって指さします。そこで「ヴィデオだよ」、「でぃーぶいでぃー」だよと言います。そうすると「でぃーぶいでぃー」の「でぃー」を引き取って、「でぃじゃー」という新語を作りだし、必死に指さします。その熱意にまけて「でぃじゃー」が我が家における、暫定的なヴィデオ・DVDを示す言葉となりました。言葉というのは必要が生じたときに、両者の間で作られるものだと、つくづく思います。
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 このブログに書いてある通り、言葉は、必要なときに、伝えたい人との関係で生まれるものです。お子さんの日本語が気になる時も、なぜ子供は自分に対して、このように話しをするのか・・という点に立ち返って、まずは自分のことを振り返る必要があるかなと思います。